相続の相談事例
山田太郎さん(被相続人)が平成27年12月21日に亡くなりました。(以下、敬称略とします)
太郎は最初に松子さんと結婚し、次郎と三郎の二人の子供に恵まれました。
その後松子と離婚し、竹子と再婚します。
竹子との間には、良子、雅江、里美、晴恵の4人の娘に恵まれました。
今回の手続の依頼は、太郎さんと竹子さんとの長女、中田良子さんから受けました。
まず、相続人がどれだけいるか確認するため戸籍等の調査を行ないました。
良子さんは太郎さんの「後妻」である竹子さんの子供であり、太郎さんと(前婚の)松子さんとの関係はほとんど知らない状況でした。
太郎さんとその子供の次郎、三郎との関係はうまくいかず、暴力行為や失踪など、かなりひどい状況であった、という断片的な情報だけでした。
相続人をさらに調査した結果、次郎と三郎はすでに亡くなり、次郎の子として春子、秋子、大作の3名が、三郎の子として、純一、栄一の2名がいることが分かりました。
最終的には、妻竹子、(太郎と竹子との子の)良子、雅江、里美、晴恵。
(太郎と松子の長男 次郎 の子の)春子、秋子、大作。
(太郎と松子の二男 三郎 の子の)純一、栄一。
合計10名が相続人であることが分かりました。
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次に、太郎さんにどのような遺産があるかを調査しました。
その結果、太郎さんは不動産を1件、預貯金を3金融機関分、遺産として残していました。
依頼者である中田良子は、被相続人の太郎と同居しながら太郎の介護をしてきており、現在は太郎の妻(良子の母)竹子の介護や、不動産の管理などを行なっていること、その他の相続人はすべて遠方に住んでいることなどから、太郎の遺産は良子が相続するのが自然の流れであるとの方向性となりました。
ついに具体的な「遺産分割協議書」の作成、署名・押印の作業に入っていきました。
まず、竹子、良子、雅江、里美、晴恵については、事情がよく分かっていますから、特に問題なく署名・押印をいただくことができました。
問題はこの後でした…
被相続人の太郎と、太郎の前妻松子との間の相続人についてはほとんど情報がなく、唯一、太郎の妻(後妻)の竹子が(太郎と松子の)長男次郎の妻である梅子とかろうじて連絡が取れる状況でした。
この次郎の家庭内暴力がひどく、梅子は3人の子供を引き連れて早々に離婚しましたがその子供達とも折り合いが悪く、連絡も10数年取っていない状況でした。
二男三郎についての情報もほとんどなく、こちらも手探りの状況からのスタートでした。
「遺産分割協議書の内容をご理解いただき、上記のように中田良子が全ての財産を相続することについて、署名、押印(実印)をいただき、印鑑証明書を提出していただく」この作業に、実に1年半の歳月を費やしました。
手続の流れとしては、ご挨拶のお手紙、民宅行政書士紹介のお手紙、相続手続を行なうことの必要性の手紙、アポイントのお手紙を書留郵便等でお送りし、連絡先を教えていただいたら随時進めて行きました。
二男三郎の系統ですが、三郎も妻も亡くなり、その子供の純一、栄一に粘り強く働きかけ、何とかいただくことができました。
最後に残ったのは長男次郎の系統。
こちらは、次郎の暴力等に耐えかね、苦難の末離婚し、次郎の妻梅子が子供3人をかくまうように育てたとのことで、当時住んでいた広島から父を避けるため北海道に移住していました。
次郎が存命であれば、次郎に署名押印をいただくところでしたが、次郎が亡くなっていることが判明し、その次郎の相続人として、春子、秋子、大作の3人も相続人であることが分かりました。
この3人は何としてでも次郎との関わりを避けたい、切りたいとの一心ですから、3人の祖父にあたる太郎の相続人である事実を伝えること、さらに手続に協力していただくまでの人間関係作りに腐心しました。
約半年かけて、秋子と大作には了解をいただきましたが、どうしても春子だけは一切コンタクトが取れませんでした。
秋子と大作から、電話、メールで何度も説得していただきましたが、返答すら得られませんでした。
その後約1か月空けて、再度「会えないかもしれませんが、玄関先でインターホン越しでもお話しさせていただくために、北海道にお伺いします」と告げる手紙を出しました。その返答はありませんでした。
空路で新千歳空港へ、会える確証も全くない中で北海道に降り立ちました。
勝負できる期間は1週間以内だと思い、新千歳空港近くのマンションを1週間借り、早速千歳郵便局の消印を押した手紙を春子宅(旭山)へ送りました。
北海道に来たことが分かるので、私の本気度が分かっていただけると思ったからです。まだ反応はありませんでした。
北海道に住む春子の妹の秋子、大作両氏に協力していただき、ぜひ民宅さんと会ってほしい、今北海道におられるよ、という連絡、応援をしていただき、心強かったです。
意を決して、春子宅に行きました。
カーテン越しに人影が見え、電気メーターも回っているので、中に誰か居られるのですが、どうしても出てきてもらえません。
追い求めた人が目の前にいるのに…もどかしい。
しばらく滞在し、郵便受けに名刺とお手紙を入れて、一旦アパートに帰りました。春子宅からアパートまでは、片道約2時間かかる距離です。
次の日もダメでした。これを3日間繰り返しました。
そして北海道の滞在期限となる日、今日が最後なので何とか、という思いを持ってお伺いしたところ、なんと、玄関の扉を開けてくれました。
嬉しすぎて言葉が出ませんでした。
春子さんからは、
「あなたからの手紙はすべて読みました。事情はよく分かりました。今日は仕事があるので、署名押印できませんが、改めて郵送いただけたら、必ず署名押印して、返送いたします」
とのお言葉をいただきました。
涙が止まらず、感動というか、私を信じてもらえたんだぁ、と飛び上がるくらい嬉しかったですね。
その後、春子さんは約束通り、書類にサインをしていただきました。
春子さんから、今までの非礼を詫びる内容のお手紙が入っていました。
どんな状況でも、信念を持って誠実に進めてゆけば、必ず分かってくださると、心から思えた事例でした。
関係したすべての皆様に御礼を言いたいと思います。
(終わり)